コラム

心鏡 #27
2026年3月30日

文=小松美羽

屏菸1936文化基地の入口

屏東縣立美術館が入る屏菸1936文化基地の入口にて


祈り、光で交わっていきたい。
心からの笑顔で生きていきたい。

おしゃべりな石たちが積み重なった灰色の街で、自分の命を粗末に葬ってしまおうと思った日。無表情で冷め切った塊の自分が川に向かっていた。自分の穢れも、誰かの穢れも消化できないで溜まっていく生活だった20代後半。肉体を脱ぎ捨てたくってたまらなくなって、誰に打ち明けることもできなくて。猶予なんかなくて、余裕なんかなくて、決断は質問後すぐに回答をして、空虚な時間が不安を掻き立て脅迫されていくようで、この肉体がボロボロになればいいと願っていた。立ち止まって考えることも許されない時空の中で、自分の背後にぴったりと食いつく悪意の渦が幾度も私の耳元に迫ってきては囁く。「楽になったら?」って。

私を監視する悪い存在も良い存在も、それらは均衡を保ちもせずに悪意は悪意のまま不平等な感情の実態だけを押し付ける。いつの間にか私の鼻について離れないもの、裸足で走っている間に破れた皮の裂ける瞬間、心を覆うように血生臭い現実が何も問題を問わないまま、嘘の解答だけが先行する。
街灯の光は絵具でいうとニュートラルグレーで、灰色の街は照らされている。素足から流れる血痕が私の足取りを露わにするのだが、その血さえもまた少し濃いだけの灰色だった。ただ赤く染まることさえも許されないと知った。
己の色彩の無さに愕然として。自然と触れた心臓の位置にはまだ音が響いていて、ただそうしている中で気が付くのは精神の深い部分が真っ白だったということだ。絵具でいうとチタニウムホワイトのようだった。灰色の街の光が、交わって交わって分かり合って白くなって、そうしていつのまにか救われながら白く染まっていた。 でも、心は物質に奪われると濁ってしまう。今できることは、できるだけ光を頼りにしていくこと。そうしていたら、あっけらかんとした救いが三か月後にやってきた。
私の辿った痕跡は確かに地図に影響を及ぼしていて、振り返ることをためらうほどに鮮やかではないけれども、それでも未来の瞬間を決定させる因果の一片だった。
今でも理不尽に負けそうになる。悔しいと感じるし、大切な誰かを守ってあげたいのに充分に問答が機能しない。うまく伝えられなくて、相手の憤怒に怯えて、脅迫してくるようなこのもどかしさを抑えることが修行のように問い続ける。
他者の怒りに向き合った時に、周りにいる大切な人を守るためにできる最善を尽くして立ち上がりたい。私だからこそ変えられることがあるって、歳月の分だけ大きくなる期待は増えていくから、いつも水平線の先にある確かなものを明確にして生きていきたいと願う。
動かない心を持ちたい。強く動かない心を持ちたい。今はまだ持てるのに持とうとしない愚かな自分と対峙している最中がもどかしい。

『INORI=祈祷』

2019年のベネチア国際映画祭のVR部門にノミネートされた小松美羽の『INORI=祈祷』
(世界的なバーチャルリアリティの先駆者HTC VIVE ORIGINALSと小松美羽との共同制作)

作家活動をしているとありがたいことにたくさんの人と出会う機会も増えるし、感情や心に触れることもある。光もあれば闇もあるように表裏一体の世界の中で、常に敏感に感じるのはアートの中に混ざる崇高の皮を被って混在している「悪」だった。
まるで、この世界に点在し巧妙に散りばめられた「悪」を知りなさいと言われているような、そんな観察者としての側面が与えられたような体験がある。それは私だけじゃなくって、私と共に仕事をしてくれている方々も共感できている点で、よくこの話題が議題に上がる。
「悪」の存在は不安だけでなく快楽も与える。つかの間の心地よさも与える。だから麻痺してしまうのだ。これが正しい考えだって。

でも、最初は中間にいた灰色の自分を物質で濁して黒にするのも、非物質で照らして白に近づくのも、選択する時間があったのならば、どうか非物質的な心を大切に照らす天上からの光に身を委ねて欲しい。その選択で努力した結果が救いを与える。自分が形成していく羅針盤を自分で信じて生きていくしかない。そこには救いがないようにも感じて、もしかしたら挫折してしまったりもするかもしれない。その場で倒れこんで自ら沼を作りだしてしまうかもしれない。
まるで悪意と快楽と優越に引き込んで離さない底を感じない沼のようなアートの祭典に足を踏み込んだ時は、この出会いがどうして起こったのかという原因を手繰り寄せていく。
私はチームのメンバーでこの考察の作業を行っている。
正しい判断は複数人で解決する。

『INORI=祈祷』撮影風景

『INORI=祈祷』撮影風景

こうした「悪」的なアートの実態に、我々の志が放つ光を真っすぐに信じている。だからこそ、私は先の先を超えて作品を通して多くの場所で伝え続けていく。
伝える仕事は、作り手であるアーティストだけではない。展覧会には多くの人が関わって空間が成立していく。例えばアートのキュレーター側が作家を選んでグループ展や個展やアートイベントを企画することがある。キュレーターや展覧会に携わる人、発案者などが展覧会を通して伝えたい意志を協議し、そうして作家が選別される場合もある。

「當繁花盛開 日本當代藝術展」テープカットの模様

「當繁花盛開 日本當代藝術展」テープカットの模様

ちょうど昨日(2026年3月29日)台北から帰国して、次の日の今、ゆっくりと原稿をしたためている。今回、初めて台湾の最南端に位置する屏東県を訪れた。キュレーターであるYuling Wang(王玉齢さん)がキュレーションした屏東縣立美術館でのグループ展の作家の一人に選んでいただけたからだった。この度、もともとタバコ工場だった場所に建築された屏東縣立美術館のリノベーションが無事に終了し、その開幕となる展覧会だ。

壇上であいさつをする小松美羽

壇上であいさつをする小松美羽

企画展示のタイトルは「當繁花盛開 日本當代藝術展」。日本の現代アーティスト16人の作品が選ばれて展示されている。この場所は時代とともに変化し、まるで屏東の穏やかな太陽の光のような、住まう人々の優しさを映し出す鮮やかな花のような、心をそっと押してくれるような風に包まれた美術館だなと、滞在を通して感じた。

Yuling Wang(王玉齢)

「當繁花盛開 日本當代藝術展」キュレーター:Yuling Wang(王玉齢)

Yuling Wangと小松

Yuling Wangと小松美羽

Yuling Wang(王玉齢さん)は台湾で初めて作品を発表した当初からの知り合いで、いつも会うたびに心労を労ってくださったり、ポンポンと背中を押したりしてくださる。作家目線をいつも大切にして思想や作品を研究し、アドバイスをくださることが多い。キュレーターは展示を組みたてるだけでなく、作家を研究し学ぶという側面もある。
また、展覧会に出展された作品の中にはアートコレクターの方々から借りたものもあり、売れたことで作品が作家の手から離れてしまうが、展覧会の趣旨に合った作品の場合は会場に貸し出されて再会を果たすこともあるのだ。
美術館に滞在中は、多くの台湾の方々に声をかけてもらった。いつも温かい優しさを傾けてくれる。一緒に撮った写真を見返すと、全てが笑顔で構成されている。感謝。

周春米縣長と小松

屏東縣のChun-mi Chou(周春米)縣長と小松美羽 ※縣長は日本の県知事にあたる

展示を通してこうした出会いを重ねていくことで、改めて心を棺に落とすような思考はしてはいけないと思える。
「悪」を見てはいけない。「悪」的な絵を描かない。
作品は作り出して生み出して、展示された時点で誰かの心に無意識に届いてしまう。だからこそ、祈り、光で交わっていきたい。
屏東で出会った、再会した、台湾の皆さんと交わした笑顔のように私も心からの笑顔で生きていきたい。

大勢のマスコミを前に、作品について説明する小松美羽

大勢のマスコミを前に、作品について説明する小松美羽

悪はいつもあなたの近くであなたにとって優しく心地の良い言葉をかけてくる。あなたにとって都合のいい考えを肯定して慰める。

もし、何かの異変に気が付いて立ち返りたいと思ったならば、飲み込まれた意識の先にいる自分の居場所をいつも確認して欲しい。

もし、自分の体の中から自分が抜け落ちて浮遊してしまっていたらどうか自分で拾い上げて自分の中に戻して欲しい。
その手助けに、きっと慈愛をもった人が手を差し伸べてくれる。そんな出会いができる生き方を、考え方をしていきたい。
類は友を呼ぶというけれども、己の中にある光を正しく抱いていれば、きっと友はやってくる。まずは正しい情報から学び、実際に足を動かす。そして、そんなタイミングに寄り添っていく芸術をあなたのために生み出し続けていきたい。発表していく
展覧会パネル


當繁花盛開 日本當代藝術展
Flowers in Full Bloom: Contemporary Japanese Art Exhibition

展示風景
出展者は、井上有一、白髪一雄、草間彌生、荒木経惟、空山基、天野喜孝、奈良美智、村上隆、塩田千春、蜷川実花、名和晃平、タカノ綾、ロッカクアヤコ、小松美羽、中村萌、江上越。書、絵画、写真、彫刻、インスタレーションなどさまざまな分野で活躍する16名の日本人アーティストたちだ。季節ごとの花のような彼らの作品は、静かで控えめなものから燃え上がるような激しいものまで、あるいは美しく華やかなものから夢のように深遠なものまで多岐に渡る。
鑑賞者は、バラエティーに富んだ出展作を通して、日本芸術が内面的な霊性から感覚的な欲求へ、個人の孤独から集団の記憶へと移り変わる様を垣間見ることができるだろう。

会期:3月28日(土)〜8月30日(日)
会場:屏東縣立美術館
住所:台湾 屏東縣屏東市菸廠路1號 屏菸1936文化基地
時間:9:00〜18:00(1時間ごとの時間指定入場制)
美術館URLhttps://www.cultural.pthg.gov.tw/pt1936/

小松作品の展示エリア

「當繁花盛開 日本當代藝術展」会場の小松作品の展示エリア