コラム

美のことごと -53-

文=中野 中

(53)春眠暁を覚えず

“春眠暁を覚えず”は孟浩然の春暁詩の一節で、このあとに“処々に啼鳥を聞く”と続く。わたしの寝室には鶏はもとより小鳥の声もない。が、暖かな夜明けは寝心地が良くてなかなか床を離れられない。


目覚めきれないぼんやりした頭で、これから一日の段取りに思いをめぐらせたりしている。この連載も今朝の床の中で、あれこれと思い浮かべたのだが、こんな書き出しで一体どこへ何をどう書き進めるのか、着地点はどこなのか、無責任も甚だしい。そもそもこれはエッセーなのか、コラムなのか。
『広辞苑』第六版には、次のようにある。
【コラム】(column)②新聞・雑誌の囲み記事。短評欄。
【エッセー】(essai仏・essay英)①随筆。自由な形式で書かれた、思索性をもつ散文。
どうやらコラムには批評性があり、エッセーには思索性が求められているようだ。この一文にはどちらも欠けており、単なる散文ということになる。しかも自由な形式というよりもその折々次第で、自由というよりもデタラメということだ。
それをけっこう楽しんでいるような筆者のわたしはしたたかな破廉恥野郎であり、書かせている出版者は変人であり、読者はそれこそ希有というか奇特なありがたい方々ということになる。

寝惚けまなこは冷水で覚まして、本論?に入ろう。
昨春の人生初の入院生活での心中を縷々るる綴って(「年寄りの繰り言はもうたくさん!?」- 50回)からほぼ1年近く経った。死の彷徨さまよいから奇しくも此岸に生還し、どうやら日常のことは元気なころの7割方はこなせるようになった。何としても頭の壊れるまで、出来の良し悪しはとにかく書き続けたいと願っているし、楽しみの画廊歩きは銀座周辺が多いながら、どうしても見たい展覧会には関東近県ならば出かけてもいる。


そんな日々で思うように体が動かず、歯痒はがゆくもどかしいことも多々ある。しかし、それは生きているからでこそ、と思えるようになったのだ。極端に言えば、朝起きてから、否、いびきをかいて寝ている眠りから目覚め、一日が巡って夜寝るまで、大袈裟な言いようだが、目に留まるものから手に触れることまで“一期一会”の思いすらする。
日々新しい、を実感する喜びは、元気であったときには少しも実感しなかったのではなかろうか。
退院してしばらくは自重して外出を控えていた。小康を得て画廊歩きをはじめると、出会う多くの人が驚くのである。目を見張って、大仰にハグまでし、涙をにじませる人もいるのだ。わたしは吃驚びっくりして足をあげようとしてふらついてしまうと、ようやくホッとしてみせるのだ。
“そうなんだ、わたしは本当に生き返ったのだ、第2の人生なんだ”
しみじみと心に深く、ありがたさ、そして喜びがみ入るのだった。

70才を過ぎた頃から、絵は解らないものなんだ、それでいいんだ、という思いを強めていたが、大病体験によって、この思いをより深めることになった。
つまり、絵に限らず大抵のことは頭で理解しても真(芯)は解らないのだ。頭でことわりをもって絵と対峙するのでなく、画面に見えるものの奥にある気配を感得してこそ、絵は真に味わえるのだ。それは多分、画家もそこにあるものを通して、その向こうにある気配(雰囲気ではない)を描いている。その気配を観る者の気が感じとる。
例えば、初対面の人を第一印象でつかまえる。第六感などという、それと相通ずるのかも知れない。
人それぞれ、みんな自分の人生を歩んで来ている。そこに積み重ね蓄積された感性・感覚が、その人ならでこその美を真をつかむのだ。
絵を観るときは、頭を使わず、無心で感性・感覚を先ず出動させる。頭は二の次でいい。
絵と出会う楽しみ、喜びが2倍にも3倍にもなる。


つい先日、友人の展覧会の案内状にこんな文を寄せた。
いまの自分の気持ちがよく出ているように思うので、ここに転用する。

──自分の加齢の故か、大病の生死の彷徨さまよいから奇しくも生還したためなのか、“絵は所詮、解らない”と悟達している。
彼の絵は、いささか古典的で正統的である故に、解り易く見える。が、技術だけの仕事で終えている筈がない。生きにくいこの世を生きぬいているのは、“明日”に何かを求めているからに違いない。
この展覧会を機に、性根を据え覚悟を確かにするべきときであろう。つまづき転び傷つきながら、己れを鼓舞し励まして、足掻いてゆこう。
すべての真ん中に自分の絵があるのだから。──

中野 中
美術評論家/長野県生まれ。明治大学商学部卒業。
月刊誌「日本美術」「美術評論」、旬刊紙「新美術新聞」の編集長を経てフリーに。著書に「燃える喬木−千代倉桜舟」「なかのなかまで」「巨匠たちのふくわらひ−46人の美の物語」「なかのなかの〈眼〉」「名画と出会う美術館」(全10巻;共著)等の他、展覧会企画・プロデュースなど。