文=小松美羽
生きて学んで修行し、修練を繰り返して、
祈りのレベルを上げていくアーティストであり続けたい。

私には忘却癖があった。過去のことを極力思い出さないようにすることで自分を守ること、そしてそれが仕事において人とのコミュニケーションを円滑に回せる1つの成功体験として積み重ねてしまっていた。
30代前半の頃はポジティブに前を向いて1分1秒も無駄にできないと思っていた。極力、「また今度」という言葉を使わないようにしていた。未来がある前提でゆっくり進むことに恐怖を感じていた時期でもあったと思う。「また今度」が本当に来るか分からないから。だから確定事項を求めていた。
まだ駆け出しだった頃の私は、アーティストになりたい人をたくさん見てきたし、多くの人がその夢を叶えられないでいることを知っていたから、前を向いてポジティブな言葉や文字を記して生きていこうとも考えていた。
30代の頃は忘却して、忘却して、「今」で上書きしていきながら未来が見えないことが希望だった。あんなに大切だった時間も一ヶ月後に朧げで、どんどん消えていく。本当は私の心の根が暗いところからのスタートだったから、未来志向で元気よく走ってきたことでたくさんの他者の心の箱を開ける鍵も宝も失ってしまっていた。
そうした自分を自己分析しながら月日を感じている、今、41歳の私が向き合う新たな制作チャレンジの1つにニミットグラフ(Nimittagraphs)がある。

台湾の屏東縣立美術館で開催された「當繁花盛開 日本當代藝術展」会場を訪れた小松(左から2人目)
2026年3月、台湾の南部に位置する高雄市と屏東市を訪れた。スマホなどを用いて写真を撮影し、その切り取った画面においての物質化されない目に見えない世界を物質に変換する作業を本格的に行うことにした。そうすることで過去を忘却し続けると言う、今でも続くその状態から脱却して、神聖な世界とのコネクションを時間や空間にとらわれることなく自由に表現ができると考えた。
そう、3月後半の台湾は暑かった・・・。香港で仕事を終えてから台湾へ飛行機移動も慣れた歳になった。今回は台湾のさらに南の方なので、冬の日本から来た私たち一行は溶けそうだった。
ふと高雄の古い街並みを歩いていると、なんてことないポストを目にした。イタリアでの仕事の合間にバチカン市国に行ったときに、敬虔なクリスチャンであるManaging Directorの星原さんが家族に宛てた葉書を送っていたのを思い出した。教会の建物の間から吹く風と鳥の羽音が混ざり合い、確かに日本に葉書が届きますようにと祈った。祈った瞼の裏側で、星原さんのお母様や姉妹の皆様の笑顔が浮かんだ。
と、同時に、自分の中の不安というか、乗り越えなければいけない課題が「忘れるなよ」と言わんばかりに私を襲ってきたのだ。
というのも、自分には相手を困惑させる奥手な部分があって、私の性格を一通り理解してくれている方から見たら「あー、またいつものことか」と思う程度かもしれない。比較的、今の周りにいてくれる皆さんは私のそんな部分を理解して流してくれる人が多くて、なんだかたまにこんな自分でいいわけないと思うが、皆さんに甘えてしまっている環境に危機感を感じることもある。気を使わないでいいよ、気楽に行こうよ、頭を下げるのは1回でいいよ・・・って何度言ってもらえたって、どこかで気楽にいけなくて。もっと自分の精神を軽くできたらと思うと、当面の課題はこれなのだと思う。

周囲の人々に支えられてきた小松(イタリアのマッジョーレ湖畔の街、ストレーザにて)
この話はほとんどの人に話していないのだが、私は郵便物をポストに入れる、または郵便物を受付に出すという作業に精神的負担が大きくかかる人間だ。
1人でポストに郵便物を出す時は毎回、郵便物をポストに入れた瞬間を録画している。そうしないと後になって、本当に入っているのか?という恐怖が襲ってくるのだ。受付に荷物を出すときは録画ができないので何度も荷物を出している状態を確認してしまうし、作業が終わった後も受付の方が手に持っているものが本当に私の出したものなのか、再度凝視してから離れる。自分の手から離れていく誰かに宛てた物が現実の世界で正しいと思われる場所に移動できたのかが不安で怖いのだ。
2026年に入ってすぐに広島にいった際に、締め切り間近の海外航空券の申し込みの手紙を出すときには緊張していた。大勢のみんなの前で何度もポストの口で郵便物を出し入れをして、ちゃんと半分ポストに入ったことを確認し意を決して中に投入する。そのあとは間違えてポストの下に落ちてないかを何度も振り返って確認してしまう。人の目もあるので録画ができないので慎重だ。
周りの方から「なんでそんなに確認するの?」「ちゃんと入っているから大丈夫だよ」と笑ってもらえた。
うん、大丈夫、そう、大丈夫なんだ・・・。
いつまでこの恐怖と苦しみが続くのだろうか。このなんてことない作業に毎回、吐き気を覚えるほどのストレスを感じているのだ。 そう見せないように取り繕ったりしても、心はいつも郵便物の行方を案じている。きっと郵便物からしたら「そんな心配しないでも大丈夫だよ」と言いたげで、私は私自身が私を苦しめている。

タイの洞窟での瞑想
私はタイでの修行で、jit(ジッ)とは、肉体が持たず、脳も持たない心や意識のことだと教わった。自分の中に留まってくれているそのjitが、一つの心配にとらわれていることが本来は可笑しい話で、心配ばかりに意識を飛ばすことのほうが本当は危険だってことを今ようやく理解していても深くなってしまった疑いの心はそう簡単に私たちを手放そうとしない。いつも近くにいる魔の存在に気がついていてもその誘惑に錯覚する。人は究極自分に甘いのだ、どこかで言い訳を作って逃げ道を用意する。その言い訳をあたかも正論のように疑わなくなってきたら末期だ。
そんな自分から少しでも離脱したくて学びを深めて頑張ってみようと思った。2026年2月10日タイのチェンマイ県の山間部へ、トラックでしか入ることができない悪路を15分走った先にある美しい川と自然に満ち溢れた場所に滞在した。周りには人工物は少なく多くの清らかなエレメントが周囲を囲んでいる。ここでしばらく瞑想ができる時間があった。地面から柔らかに生える木の赤ちゃんの美しい芽吹きに見惚れつつ私は山の斜面の木陰でヨガマットを敷いた。1時間30分以上経ってからふと同行者の1人であるKさんの顔がよぎった。本当はjitを体に留めながら集中して瞑想しなくてはいけないのに、それでも注意がKさんに飛んでいってしまった。私は「Kさん、瞑想しないで昼寝しているなー」と、でも日々のお仕事でお疲れだし多くの悩みも抱えていることを知っている、ご自身の体調もよくないことだって聞いている。ここまで来るまで相当疲弊したはずだけど、でも私はこの自然の中で一体となって溶け込む深い精神の安定を確かに感じていた。「いや、やっぱりKさんを起こそう!」 私は山肌を滑るように斜面を降りて昼寝しているKさんを起こした。 「瞑想しましょう!すごく良い木陰があるのでついてきてください」 私は強引に体を起こさせて引っ張るように促した。森の中を歩く靴は土まみれでぐちゃぐちゃだった。手作りの小さな竹の橋を渡って、私は優しい顔をして手招く一本の木を指差した。「あの木陰に行きましょう」 2人は少し距離を置きながら大地に座し夕方を迎えた。
次の日、私は少し申し訳なさを感じていた。Kさんの顔を見合わせた時、昨日の強引に連れていったことを謝ろうと思った。でも最初に口を開いたのはKさんだった。
「昨日、起こされた時は夢の中で・・・。連れて行かれても、疲労と睡魔で苦しかった、でもその時はなんとか寝ないように苦しみを超えながら座っていたのを覚えていた。その時に確かに見えたビジョンがあった・・・あれは夢とは言い切れない・・・幻でもなくて」と語り始めた。
私はすぐに「それは、苦しみの先生を乗り越えた先にある素晴らしい経験でしたね」と言った。そのビジョンの意味を今はわからないかもしれないけれど、必ず未来のあなた自身を救うと思う。私はそう思った。人間関係の難解な課題は大抵みんなが持っていて、生きづらさなんてどの時代の人々も持ち合わせている普遍的なもので。描くときもそう、苦しい負荷がたくさん体や心に襲いかかってくる時ほど筆を止めないようにしている。しばらくすると勝手に自分が自分の苦しみを乗り越えてくれているから。だから、苦しみを放っておかないで。自分で乗り越えられなかったら、私もいるし、誰かがいてくれるよ。芸術はきっと、あなたの心の拠り所になりたいと願っている。よかったら、気晴らしに美術館においでなさい。絵はあなたを覚えているから、声をかけてほしい。「ただいま」と。そしたらきっと「おかえり」になる。そんな展覧会がいつもあなたを待っている、そんな展示でありたい。

MUSEC(ルガーノ市文化博物館)で開催中の「Miwa Komatsu. Beyond the Eyes」展示風景
こうした展示の積み重ねで確信を得ていることがある。きっと祈るという行動や気持ちは「自然発生」したものなのではないかということだ。祈りが先にあって、その後に宗教や思想や哲学があったのではないか。祈りは本当はシンプルでどんな人間でも差別なく行うことができる、死ぬ間際でさえその祈りは勇気となってあなたを救うかもしれない、光の形なのかもしれない。
祈りの光は、言葉を介さずとも、文化や環境が違っていても普遍的に通じるのではないかと思っている。
そう確信を得たのは2026年8月1日だった。
イタリアのトリノ郊外にあるサクラ・ディ・サン・ミケーレにてライブペインティングを行ったことがきっかけだった。サクラ・ディ・サン・ミケーレでの体験を話す前に話を数日戻したい。

人気の観光地・保養地ルガーノの市街でも小松の個展開催を伝えていた
私たちチームは2026年7月、ヨーロッパで初の個展の準備をするためにスイス・ルガーノの地に滞在していた。MUSEC(Museo delle Culture / ルガーノ市文化博物館)を会場に、最上階のワンフロアーにて大型過去作品と新作を含め約三十点を展示した。新作にはスイスだけでなく、ヨーロッパを旅して学んだ神話や伝承、瞑想を通して感じたことの一部が描かれている。個展の準備を終えた次の日にはレセプションと記者会見を美術館側が段取りをしてくださった。スイスの方々と仕事をしているととても真面目で時間に正確な人が多いなと感じる。まるでスイスの時計のように精密な仕事をする。そうした姿勢が共に個展を組み上げてくださったキュレーターのNora Segretoさんから垣間見れた。Noraさんが個展初日の記者会見で話してくださった言葉は短いものではなかった。彼女は長く非常に重厚な言葉で私の作品を解説し、そしてなぜ今回MUSECで展覧会を行ったかの話をしてくださった。Noraさんは私の作品の1つ1つに多くの質問を投げかけ、その回答をよく読み研究してくださった。そうしたコミュニケーションの積み重ねで紡がれた言葉を、私は静かに傾聴していた。

MUSEC外観
Noraさんの言葉の中で記憶に残ったものを1つ記すとしたらこれだ。
「普通は美術館に行ったら、皆さんは絵を鑑賞しますよね。はい、人は普通絵を見る側だからです。しかし美羽の絵は違います。絵が鑑賞者を見る側なのです」と。
この言葉を聞いた時に、私の作品を学び吸収してくださったのだと、感謝と嬉しさでいっぱいになった。
絵というのは難解であると感じる人も多いと思うが、キュレーターの弛まぬ努力と研究によってそれは大衆へと開かれる理解の糸口になる。作家の最大の理解者の1人と言ってもいいだろう。また研究・展示部門責任者のPaolo Maiullariさんは、スイスと日本、そしてMUSECの双方の文化的な歴史を語りながら、改めて小松美羽という作家について語ってくださった。作家を志してがむしゃらに生きている時ってセルフプロモーションの方が比重が高い。しかし少しづつ展示経験を増やしていくと、ある日、作家が語らずしても語ってくれる仲間が増えてくるのだ。それはキュレーターや美術関係者だけではない。多方面で人は人として繋がっている以上、マイナスにもプラスにも作用していく。だからこそ丁寧に生きていけたらと、そう課題を出している。

ルガーノから車で約1時間の距離にあるモンテ・ヴェリタにて
長野県出身の私にとって、長野には日本アルプスがあることから、昔からスイスの土地には親近感を持っていた。それは、ただ単に同じ「アルプス」と呼ばれているからというだけではない。実際に本場のアルプスの山を登った時に、故郷を感じるような、自然に存在する細部のエネルギーの質の類似を感じたからかもしれない。そう親近感だけじゃなく因果を感じるのだ。ナガーノとルガーノ。ナガーノ、ルガーノ。音も似ている。そんな話をしていると、スイスの皆さんがほっこり笑ってくれた。幸せな交流の瞬間だった。ナガーノ・ルガーノとユーモア溢れるイタリア語に通訳してくれたSara Wakaさんとは実は数年前からの知り合いで、彼女が運営するWakapediaにも記事を載せていただいたことがあるのだった。偶然にもルガーノで再会した時は声が裏返るほどびっくりした。本当に、出会った人といつまた再会するかわからないのが人生だ。個展のオープニングには多くの人々が集い、夜にはパーティーが開催された。

聖骸布礼拝堂のある洗礼者聖ヨハネ大聖堂(トリノ)
そうしてから日がたちルガーノから列車でミラノへ。ミラノ滞在後にトリノへと向かった。トリノの街では素晴らしい教会の数々に学びが多い日々だった。いつの間にか街中に点在する教会を見つけては訪れるような時間の過ごし方をしていた。トリノのいくつかの教会では、キリストの遺体を包んだ布と伝えられる聖骸布の精巧なレプリカを拝覧することができるのだが、トリノ王宮博物館群の一角にある聖骸布礼拝堂に入った瞬間、私はその包まれるような壮大な空間とデザインに思考が停止した。現代においても抽象的な表現の源の1つが埋め込まれているようなヒントが散りばめられたような、また、すでに答えが示されたような建築だったのだ。ヨーロッパのバロックを代表するグアリーノ・グアリーニ氏の建築の教会は王宮以外でも見ることができ、次の日にはチームのリサーチャーから教えていただいたサン・ロレンツォ教会で2度目の拝観が叶った。 是非ともイタリア旅行に行く際には行っていただきたいお勧めの場所の1つだ。
敬虔な気持ちで、私たちは車でサクラ・ディ・サン・ミケーレのあるスーザ渓谷へ向かった。スーザという町には歴史ある建物が並んでいた。そこからさらに北西へ進むと、フランスとイタリアを結ぶアルプス越えの古い巡礼路に位置するノヴァレーザ修道院がある。今回、特別に許可をいただき、木の下で20分間だけ瞑想することができた。普段はツアーガイド付きでないと拝観できず、自由に出歩くことは基本的にできない。定められた時間を予約しその時間に集まる必要がある。改めて自由に動くことの許可をくださった大きなお心に感謝したい。
スイスにあるモンテ・ヴェリタを訪れた時にも聖なる山と囲まれるアートと自然の中で深い瞑想を実践することができた。そうしてエネルギーと繋がっていくことが絵のエッセンスとなっていくのだ。

岩山に立つサクラ・ディ・サン・ミケーレ
話は戻り、サクラ・ディ・サン・ミケーレはスーザ渓谷を見下ろすピルキリアーノ山頂の神聖な場所に983年頃に創建された歴史的な大修道院で、現在はロスミニ会の司祭たちが守る聖所となっている。また、アイルランドからフランス、イタリアなどを経てイスラエルまで、大天使ミカエルゆかりの聖地が一直線に連なるといわれ、その線は「聖ミカエルのライン」、あるいは「レイライン」と呼ばれることがある。サクラ・ディ・サン・ミケーレはその線上に位置するといわれ、以前ライブペイントを行ったモン・サン・ミシェルも同じレイライン上にあるといわれる聖地の1つだ。
大天使ミカエルは悪魔との戦いにおいて勝利する存在だとされる。サタン(ルシファー)や悪魔と激しい戦いを繰り返し、圧倒的な力と光を持ち悪に打ち勝つその姿は人々の希望の光であり、多くの信仰者の祈りを受け止め羽を広げ輝いている。大天使ミカエルが険しい岩山に降り立ち、そうして険しい岩山に出来上がったのがサクラ・ディ・サン・ミケーレなのだ。岩山自体も神聖なものであるため岩肌を傷つけないように建てられているので建築の観点からも見どころが多い場所だ。

サクラ・ディ・サン・ミケーレの階段にて
©️Natasha Sakuma
8月1日。私はサクラ・ディ・サン・ミケーレの朝のミサに参加するため7時30分にかつて修道士たちの遺骨が安置されていたことからその名がついた「死者の階段」を登った。教会に到着して少し朝日の時を感じながらミサが始まった。私は初めてロザリオにブレッシングを受けた。そして神父様の言葉を傾聴した。神父様は「この世はどんどん悪魔が増えている。この状況はどんどん悪くなっていくだろう。良い人の顔をして近づいてくる悪魔もたくさんいる。経済ももっと悪くなる。でも、そういう時ほど神様たちは悪魔と戦ってくださっていることを忘れてはいけない。私たちは祈り、正しく見極め生きていかなくてはいけない」とおっしゃった。私も、何度も原稿で書いている「悪魔的な絵を描かないとか、悪なものが多く存在するアートの世界で今こそ私の絵が救う役割を果たす1つなのだと信じていること」を思い出した。
ミサの後、神父様と少しお話をさせていただきミサに参加された方々とも話す機会があった。

18時過ぎ、天候晴れ。少し日が落ち着いて穏やかな風がふく中、ライブペインティングはスタートした。絵を描いている最中は教会から提供いただいた讃美歌が流れていた。静かな制作は野外で1時間以上。その間、誰一人席を立たずに真剣に見入ってくださった。

一瞬頬に涙が伝った。優しい慈愛の光に満ちた気がした。そうしたら、ゆっくりと「祈るように」、丁寧に「祈る」所作をと言われた気がした。私は従った。そうしていたらいつの間にか絵が出来上がっていた。振り返ると、そこにあったのは光だった。祈りの光だったそれは私の祈りとかではなくて、この神聖な場に蓄積された層のようなものだった。
ライブペインティング後、スピーチと解説。無事にサクラ・ディ・サン・ミケーレに絵は奉納された。

迫力ある小松の祈りのライブペインティングは、礼拝に来ていたヨーロッパの人々をも魅了した
サクラ・ディ・サン・ミケーレの皆様、ライブペインティングに関わってくださったすべての関係者の皆様、見にきてくださった皆様、協力いただいた皆様、応援してくれた皆様、すべてのここまでご縁を繋いでくれた皆様に感謝。そして、このライブペインティングを企画発案してくれたPaola Donguさんに感謝を。絵の具まみれで汚れている私を見て、Paolaさんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。私の体を労ってくださったのだ。1時間以上止まらずに描いていたからかもしれない、元気ですと伝えると、Paolaさんは少し驚いたようで、でも優しい笑顔で祝福してくださった。モン・サン・ミシェルでのライブペインティングの直後から、この企画の構想を考えてくださっていたそうだ。出会いはVR作品がノミネートされた2019年のヴェネツィア国際映画祭だったので、一緒に仕事をしてから随分時間が経った。こうして、住む場所は離れているけれども繋がって想ってくださってくれていることが嬉しい。感謝しかない。

9月25日にはイタリアの南部のプーリア州にある世界遺産として知られるモンテ・サンタンジェロにてライブペインティングを行う。西ヨーロッパ最古の大天使ミカエルの聖地とされる場所。実際に大天使ミカエルが降臨したとされる天然の洞窟があり、その洞窟をそのまま聖堂とした地下の教会として知られている。
恐れ多くも、私がこのような聖地において制作できることは使命であり役割であり祈りと慈愛の導きだと感じる。だからこそ私も私の命を粗末にしてはいけないと感じる。

夢を追いかけて、才能に憧れて、光に恋焦がれて、己の可能性を道標に歩いた足元は苦しみも悲しみも、手のひらには汗も涙も血痕もにじむ。過程の中で人はいつしか叶えられないことや捨てなくてはいけないこと、選び学び得ることでシンプルになっていく。そうして登る人生の山道は離脱もできるし継続することもできる。足がボロボロになりながらも登った山の頂で広大な天体と出会う、星々の意思を知る。さあ、その山からどう前へ進みますか? 天へとさらに登ろうと塔を建て傲慢にも神聖な方々の怒りを買いますか? それとも山頂に座して精神を深く落とし天と心を一体にさせますか? それとも山から見下ろした地上の惨状に慈悲の心を持ち下山しますか? 私も山頂を目指して登る1人の冒険者として、今いる場所を見失わないように生きていきたいと思っている。
肉体には限界があることは誰しも理解しているのに傲慢さが危険な道を選択させる。地獄に行ってしまいかねない思想も言動も、本当は危うい世界も全て都合よく目隠しされている。
あなたの魂を脳や肉体の判断で置いてきぼりにしないで。夢が叶ったらね、今度は過去生からの使命を引き継いでいる。意味のある役割から抜け出すこと。それには正しい行動が必要で、納得のいく役割が与えられないと人はそれを不自由と感じるけど、自由なんて本当はないのだと思うのだ。生まれた瞬間に人は「お腹がすく」でしょ。お腹を満たしたいという欲求に支配されてしまうのだ。この世界は世界という檻の中。苦しみに慣れて、その苦しみから逃れるいっときの快楽や幻想に自由があると感じるだけだ。
でも、大丈夫。あなたが、今ここでこのタイミングで生きていることには意味があって、その役割も含めてすべての人に1つのゴールを示す地図があるのだから。その地図を解読するためにはどうしたらいいのか、それは、生きて学んで修行して修練を繰り返して得ていくしかないのだ。簡単に手に入らないその答えの中に突然訪れる光は、20代でくる人もいれば、40代でくる人も、60代で・・・90代で・・・100歳超えてなんて人の人生それぞれだから。だから人と比較することも、誰かをバカにしたり攻撃したり下に見る必要もない、見た目や経歴や年齢で決めつけることも、もちろん自分に対しても心を鈍してはいけない。ただ己のjitと向き合って進むのだ。集中して。集中して。実践するのは私次第で、怠慢は全部私の罪だ。

改めて今一度書きたい、
絵のレベルを上げるのではなく、祈りのレベルを上げていく、
そんな作家であり続けたい。
小松 美羽
日伊国交樹立160周年を記念しておこなわれた、サクラ・ディ・サン・ミケーレでのライブペインティングの模様は、YouTubeでご覧いただけます。
Sacra di San Michele, Val di Susa|2026.8.1
https://www.youtube.com/watch?v=EJjqwzTigZY
Miwa Komatsu. Beyond the Eyes
スイス南部のティチーノ州にある観光・保養地ルガーノのMUSECで開催されている、ヨーロッパでは初めてとなる小松美羽の個展。日本の神話や民俗、そして精神的伝統から生まれた神獣たちが強烈な色彩で描かれた絵画や立体作品など約30点が展示されている。オープニングセレモニーには日本大使館から大久保雄大公使が出席するなど、日本とスイスとの文化交流の機会ともなった。

MUSEC(ルガーノ市文化博物館)で開催中の「Miwa Komatsu. Beyond the Eyes」展示風景
会期:7月23日(木)〜10月25日(日)
会場:MUSEC(Museo delle Culture:ルガーノ市文化博物館)
住所:スイス Riva Antonio Caccia 5, 6900 Lugano
時間:水・木・金曜日11:00〜18:00、土・日曜日、祝日10:00〜18:00
休館日:火曜日
美術館URL:https://www.musec.ch